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読書法の分類

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2019年7月24日
  • 読了時間: 5分

更新日:2019年11月7日

よく「本は読まないとダメだぞ~、エリートは毎日一冊読んでるぞ~」とか「年間1000冊読破し、その知識をビジネスに活かしましょう!」

とか言う人は個人的にファッ○と思っていますが笑、本は好きですが、ポリシーとしては、丸谷才一氏の言う

「本は好きに読め、ただ本の読みたくなり方に於いて賢明であれ」

というスタンスが一番好きですね。本なんて基本的に好きなタイミングで好きなように読めば良いと思うのですよ。義務感で本読まされても、義務を果たしたと同時にその内容は消えるので、やっぱり楽しみながら、快楽を感じながら読む、というのが一番だと思いますね。

ちなみに丸谷才一氏は、執着するのはそのテキストのみで、本という対象物に対する特段のフェティシズムは無い、つまり、装丁等には頓着せず、読みたいページを本から分離させて読んだり、とにかくフリースタイルな形でテキストに向き合われてたそうですが、自分はまだ、到底この域には達することができる気がしません笑。

家の本棚も、どちらかと言えば雑然としてる方だと思いますが、「この本の背表紙を本棚の見えるところに置いとけば、あの人が家に遊びに来たときに話のネタになるかもな~」とか余計なスケベ根性丸出しですしね笑。まあ、家に誰か遊びに来ることもほとんどないんですけど笑。

とは言ったものの、読書の種類は広範に色々あるのに、学校教育では体系的にテキストと向き合う方法って、教わる機会あまり無いと思うんですよ。唯一あるのが小学校低学年でやる「音読」くらい?あれは発話能力との相互作用という意味でも極めて重要なプロセスと思いますが、他には、カルチャースクールとか路上で学べる速読法、みたいな。

巷にそういった無数の「読書法」なるものが溢れてくると、人の性としてはやはりこう、分類したくなるものでして笑、自分の体にあった本の読み方にこの分類が役立つのかも?と思い、素案を描いてみました。

まずはこの二軸を用意します。

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横軸に

遭遇型(偶然の出会い)

探索型(答えを探しに行く)

を取ります。遭遇型は、まあ、特段の目的の無い本屋の立ち読み、

探索型は、捜し物はなんとなくわかっていて、それを探しにいくイメージです。


縦軸は、

インストール型、アウトプット型になります。

この軸で見ていくと、

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一番右下の象限には、某協会が普及している技法のような、ソーシャルリーディング(集まってみんなで本を読む読書会みたいなもの)が来ます。実際には、読書会で本を読む過程で本の内容がインストールされるプロセスはありますが、読書会の多くが、対話形式でのアウトプットを行うことを方向性の一つとしているため、ここに位置付けています。

次に右上の象限ですが、ここに「速読、多読」が入ります。

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巷にある速読法の多くが「知りたい情報をスピーディに取れる」ことを謳っていることから、その多くはインストールに重きを置いているものと思います。

次に左上、こちらには「音読、精読、熟読」が入ります。

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私も意識しないと熟読できないタイプで、もう職業病というか、さらっと拾い読みをするのに慣れきっちゃってるので、やっぱりじっくりテキストと向き合う熟読・精読をやってないとダメですね。

拾い読みで内容理解した気になって、飲み込みが早いように見えて結局消化不良を起こしているだけだったりしますし。

ただそういう場合にも「音読」は効果絶大と思います。

内田樹氏の言葉で、

「人は、他人の言葉はどれ程合理的であっても信用しないが、自分がいったん口にした言葉は信用する。・・・その言葉により身体感覚が変わる」

というものがありますが、音読というのはある意味、他人の思考を強制的にインストールするプロセスのようなものですよ。だからこそ諸刃の刃的なところもあると思うんですが、体に最初はなじまなくて具合わるくなっちゃってたような言葉も、言っているうちに肉体が変わる、みたいなね。

私は言霊を信じていますが、逆に言えば、自分が信じ込めてない言葉には重心が乗らない(ので人の体を共鳴させられない)、というのもそれだと思います。

最後の左下、こちらには「朗読、範読」が入ります。

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範読ってこの記事書くために調べ物してて初めて知りましたけどね、意味としては「教師が模範として生徒に読み聞かせること」らしいですが、

まあ「模範的発話」って何だよ、って気もしますけど笑、私もだいぶアクセント強い方ですが、これにはちょっと教条主義的なニュアンスも感じます。

それに比べると、朗読は聞いてる側が快感であれば良いので、趣味の領域というか、まだ民主主義的ですよね笑。

いずれにせよ、範読・朗読は「他者に聞かせるためのものとしてのアウトプット」の位置付けになるので左下象限です。

まあ、分類できたところで結局何なの?ってとこですが、要は静的なものと動的なもののバランスというか、

「明確に欲しいものを決めて、それを探しに行く読書だけだと人生に彩り出ませんよね」

って話です。もともと本好きな人は、遭遇型/探索型のハイブリッドでテキストを楽しんでおられると思いますが、流行りの学習法、とか言って速読法やソーシャルリーディングの集い、なんかに参加して、その学習法の学習のプロセスを体感することで得られる快感のみを求めているのを目の当たりにすると、なんというか、哀れだなぁ、、と思うわけです笑。

結局本は好きなように読めば良いということで!笑

ではまた!


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