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組織開発するほど断絶が深まるジレンマ

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2019年10月24日
  • 読了時間: 5分

共同体内部のユナイト感を上げるためだけの組織開発は、必ず破綻する


組織開発って、やる分には楽しいんですよね、バイブスは上がるし、おおよそがハーフ・デイ〜数日のパッケージド・セッションになってて、走り抜けた達成感はあるし、幽玄は揺蕩うしで、単純にアガります。


ただ、この5年ほど色んな組織開発の場に出入りして、どこの会社かは申し上げられませんが、「世代間の相互理解」を主な目的とした体験学習型の組織開発のアフター見てると、やっぱりどうしてもアンチが一定数出るんですよ。


そうなると「ああいうのにハマる人、アレルギー起こす人」って分派しちゃって、ハマった人達はアンチの人を「通じない人たち」扱いするので、返って断絶深まってる、という。


まあ、その体験学習型組織開発の研修の開発者いわく「何か自分で持ち帰れる人だけ持ち帰ってくれれば良い」と割り切ってはいて、時間が経てば、アンチの人もまた日常に戻っていくだけ、なんですけどね。


組織開発の方法論は様々ですが、「チーム・コラボレーション」とか「組織の存在意義」って文脈で見られることも多く、単純に額面通り、「共同体(組織)のユナイト感を上げる」って目的(ひらたーく言うと、組織の一体感を上げる目的)で実行すると、これは構造的に破綻します。


ある組織開発の方法論の実践に於いては必ず分派が発生するので、これをうまく機能させようと思ったら「仮想敵」を設定し、その対立構造を表出化させるしかないです。その対立構造は、「競合と我が社」とか「経営層と現場」とか色々ですが、何にせよ対立軸の前提の共有無しに、単に


「なんとなく組織の一体感とか、コネクト感高めようぜ~」


というアティテュードでやると、よっぽど強力なドグマが無い限り、返って断絶が深まるのがオチ、と思います。


ただ、強力なドグマで組織の一体感、って、カルトや宗教団体のそれと同じなので、結局いずれ宗教改革が起こるんですよ。


では、仮想的を設定しない組織開発、というと、それは「個々人のポテンシャルを最大化させるような適用」しかないわけで、個々人のポテンシャルを高めた結果、その組織・共同体から離れる、って選択肢は十二分に有り得るんですよね。


今の組織開発が抱える根本的なジレンマ、ってか矛盾って、この「組織の帰属意識も高めたいんだけど、構成員それぞれのポテンシャルも高めたい」ってところにあると個人的には思っていて、そうなると、「個々の能力開発」と何が違うのよ?って話になってきますが、「共同体の中の関係性から得られる便益から個々の能力を最大化する」ってところが単純なスキル開発と異なるところなのだと思います。


まあ、会社もいずれオンラインサロン化する、と思っているので、帰属意識を高めるだけの組織開発ってそのうち淘汰されると思うんですけどねぇ、、組織のミッション・ビジョンづくりみたいなブランディングと、組織開発をハイブリッドで提案するようなところもあるみたいですけど、ブランディングは本質的には宗教団体の経典作りと同じなので、それへの共感を求めながら、そのために構成員が、その高めたポテンシャルを共同体内部でのみ発揮することを同時に強いるのは無理がありますよ。


なので、


「組織開発の取組やって、一瞬バイブスはあがったんだけど、離職率変わんなくて、、」


とか


「組織開発の取組やって、みんな元気になったんだけど、まとまりなくて〜」


とかブツクサ言っても、それは構造的に仕方ないんで、仮想的を作ることをまずはオススメしますね笑。


それで、知人が最近大企業の事務から保育士に転身したんですけど、その知人、大企業在籍時は組織開発に燃えてたんですよ、「アタシがこの会社を変えてやるんだ」って、当時彼女、まだ27歳でしたけど。


しばらく会ってなくて、最近たまたま会って、組織開発界隈の情報交換してて、素朴な疑問で「なんで保育士になったの?」って聞いたの。そしたら


「うーん、まあアタシも、最初は燃えて、色んな軋轢で一回バッドに入って、でもそれでも何かできるんじゃないか、って地に足つけてしばらくやってみたんだけど、気づいちゃったのよ」


「え、何に気づいたの?」と聞いたら


「投資効率から考えたら、幼児教育から入る方が、多分世の中変えられるなって、それで保育士の勉強始めたら案外面白くって、ほら、最近組織も生き物でメタファライズされるじゃない、だから、そこの勉強から始めたほうが話早いな、って思ったのよ。あとほらアタシ、子供好きだし」


「えー、でもだって、大企業に居た頃は、『新入社員の頃は目が輝いてたのに、いつのまにかそれを失って、でもその輝きをもう一度取り戻させるんだ』って言ってたじゃん。」


「自分で言うのもなんだけどさ、微力ながらアタシの働きかけで、ああ、この人変わったな、って思う時も、ちょっとはさ、あったんだけど、うーん、でも何ていうか、一言で言うと、負のオーラに飲まれちゃったって感じかな、ほら、アタシ一時期メンタルやられてたじゃん、それもあって休みもらって、なんでアタシこの会社で働いてるんだろ、、、って考え始めて、カウンセラーの人が児童心理学に詳しくて、その話聞くうちに、あっ、なんで今までこんなしょーもないことで悩んでたんだろ、って吹っ切れちゃって、それでやっぱ保育士だな、って思って、結局そういう話よ」


とそこからはもう昔話にシフトして、二人でゲラゲラ笑いながら焼き鳥食べてましたけど、


組織開発がんばってらっしゃる方、今多分日本全国に2,000人、世界で言うと5万人くらいいらっしゃるんですかね、どうにも太刀打ちできない場の流れってありますからね、変えよう、と思うとたいがい返り討ちにあうことも多々あるので、そういう時はもう傷つき倒して、泣きまくって、誰かから優しさで支えられたら、その人の優しさも踏み倒して笑、その復活の先にまた新たなバイブスを感じられたら御の字、ってことですね。


ではまた!

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