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文体構築 Re:

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2019年11月9日
  • 読了時間: 2分

自身の言語・発話により思考が形成されるのであれば、文体つまりスタイルの形成および獲得は、それに大きな影響を与える。


文体の獲得は、それまでに見たもの、聞いたもの、読んだものの咀嚼そしてアウトプットのプロセスそのものであるが、ここに強い嗜好性が関与することから、自分が書いたものが「誰其れの文体のパクリ過ぎてキモい」と言われればそれを真摯に受け止め、「独自の文体獲得」には遠く及ばぬとしても、見識ある人のキュレーションを受けながらインプットするものの方向性を変えねばならない。


ということで、今目の前にあるのは、本棚から取り出したレーモン・クノーの「文体練習」と、キュレーターから手渡された「三島由紀夫レター教室」で、文体の(再)構築には、まず虚心坦懐にその音韻の習熟から始めるべき、との考えから音読を進める。


「人は他人の言うことは信じないが、ひとたび自身が口にしたことは信じる」


とは内田樹氏の言で、ならば他者の文体を発話することにより、信じるものが変わるか、というと、やはり、快感を感じながら自然に発話できる他者の文体と、そうでないものがあるようで、結局は趣味嗜好の問題が関与してくるが、例えていうならフランス語の発話技法を知らないものが無理にフランス語のテキストを読もうとするようなもので、まずは家の玄関から出て近くの公園に行って景色を眺めよう、というところから始めてみる。


これまで意図して文体構築を試みたことはなく、ただ頭の中の独り言を文字打ちしているだけであったのが、この試行錯誤の末にどのような文体となるか、はおそらくある程度の分量を経ないことには表れてこないだろうから、「書く」ことに対する動機は変えずにしばらく続けてみる。


このサイトの投稿もこれで100本目で、1本だいたい1500文字くらいであるから、15万文字はタイプしている。ただこれまでは文体について頓着することがなく、15万文字書いた末の他人の感想が「誰其れの文体のパクリ過ぎてキモい」なのだからこれはもう悲劇を通り越して喜劇、であるから、まずはクノーの99の文体練習を発話した末にどのような文体が自身から発話されるか、そこにまずは自覚的になってみることから文体構築を進めてみることにする。

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