なぜカルト教団は集団フリー・セックスに走るのか?
- Kosaku Toyoshima
- 2019年7月11日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年11月7日
自分が小学生の頃、某教団の被害者の「気づいたら見知らぬ男とセックスを強要された・・・」というコメントを見たりしながら、「なぜ、カルト教団(の多くはその教祖)って、集団フリー・セックスに走るんだろう、、」と疑問だったのですが、
その後、組織論やスピリチュアリズムに触れ、見えてきた構図から一部理解(フリーセックスに対する理解じゃないですよ笑、念の為)するようになってきました。

こちらの図、「思考の乱交パーティ」でも掲載した図ですが、カルト教団の多くは「私と私たち」の「精神性の融合・統合」を目指していますが、縦軸で見ると「肉体の融合」と隣接してるんですよね。
なので、隣接地域へドリフトするのはまあ自然というか、境界領域が液状化しちゃいがちなのだと思います。
逆に、肉体の統合から精神性の統合へ移行する、みたいに、某教団の「集団結婚式」なんかは精神・肉体同時に統合しちゃえ、みたいな、ある種の効率性を感じます笑。
私が追求しているのは、この構図でいう「私と私たち」の「思考の融合・統合」1点のみなのですが、この境界領域の液状性ってのはなかなか難しいところでもあり、例えばU理論はとても有益だから組織の中で広めようとするじゃないですか。先日もある方にU理論の勉強会を持ちかけたのですが、組織側にそれを受け入れられる土壌があるか?ってのは外部環境要因もあるので、なかなかタイミングが難しいんですよね。
U理論に限らず、組織論の最先端の理論は、この図の縦方向の深度に警戒が強い人ほど、結構話のとっかかりからリジェクトされることが多いです。(あくまで個人的な感触含みの傾向の話ですが、特にサイエンティストの人の方が感覚的に忌避する傾向が強いような気がします)
そういう方向けには、この図を見せながら「集合知を引き出すための、思考統合の方法論ですよ!」と解説するのですが
いやまあ、実体としては精神性の統合も含まれるんですけどね、ただ、それを持ち出すと「果たしてそれは健全な精神性の統合なのか??」という水掛け論になっちゃうので笑
まあ、実際、社内結婚が多い、とか、拡大家族の中で共有される精神性とか、思考 / 精神 / 肉体の境界が液状化しちゃった例はいくらでもあるので、この切り分け自体無意味な気もしますけどね。有益な組織論に対する組織内の共感を得ていくアプローチの一つとしてはご参考いただけるかもしれません。
ではまた!
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