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「ビットコインはチグリス川を漂う」ブックレビュー

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2018年6月26日
  • 読了時間: 6分

更新日:2019年11月4日

「はい、ケンちゃん、今年のお年玉はこれね」で、ピッと手を手をかざすと決済完了、そんな未来を夢見る、フリースタイル・ファシリテーターの豊島考作です。


本日はブックレビューの巻です。題材はこちら

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冒頭のお年玉決済の未来イメージ、ですが、そのうちスマホも無くなって、「手に貼れる電界通信シート」みたいなので通信する未来が来るんでしょうなあ。


いや、もはや今みたいな、改札でスイカをピッ、とやる近距離通信すらいらなくなる時代が来るのかも?


(おそらく、ドラゴンボールの最長老さまがクリリンの思考を読み取ったあのシーンは未来の暗示で、多分アレ、クリリンの外部記憶装置の端末を手で読み取ってるだけだと思います。)


いきなり妄想から入りましたが、本書はブロックチェーンやビットコインについて、科学技術的な側面から語った本では無く、「マネー」の歴史を紐解いてその本質に迫る本です。


というか、「読みやすいなー」と思いながら表紙を改めて見ると、まさかのみすず書房なんですよコレ。


みすず書房と言えば、「野生の思考」や「部分と全体」みたいな硬派で、(ワタクシみたいな半端なインテリ気取りの好事家からすると、)その表紙を見るだけで読む者の戦意を喪失させられる、現代思潮新社の「黒難解」に対する「白難解」に位置づけられるアレです。


もうこの流れで余談を続けますが笑、


ワタクシの行きつけの新書書店のひとつに、神田は神保町、すずらん通りの「東京堂」という店がありますが、この本屋、上の階に行けば行くほどよりディープな本が陳列される作りになっておりまして、3階の一番奥の間に行くと、個人的には最強の「背表紙鑑賞書籍」と位置づけている(失礼)叢書・ウニベルシタス のコーナーがあります。


ちなみに私がこの叢書・ウニベルシタスで唯一持っているのが、ガタリの「機械状無意識」で、(たぶん、ガタリファンからすると、ガタリ初心者がいきなりこれにトライするのは吹飯ものと思いますが)慣れないワードをもんどり打ちながらそれでも無理して読んで、


「嗚呼シニフィエシニフィアン、俺の名前はアジャンスマン」


とか、言葉を覚えたての三歳児よろしく、都合の良い音感と語呂の良さだけ持ち帰ってブツブツ呟くくらいにはインパクトのあった本です。


みすず書房と言えば、個人的にはこのウニベルシタスに準ずる位置づけではありますが、

すいません、白状すると冒頭で言及した二冊しか持っておらず(あと一冊くらいは読んだような気もしますが、、)

このブログを読んでおられる方からすると、「そんなんでみすず書房語ってんじゃねえよタコ助」と言われることを千万承知!の上で指の踊るまま書き続けております。(直感ですが、ケヴィン・ケリーの「テクニウム」もおそらくは同じように読みやすいのではと勝手に想像してます。)


兎も角、自分の中で固定観念化していたみすず書房に対するイメージは、この本のジャケを取った瞬間から払拭されたわけで、なんでしょう、「野生の思考」も「部分と全体」も共に40年以上前の本でありますので、もし自分が40年前に30歳だったら今この「ビットコインはチグリス川を漂う」を読んで感じている読みやすさと同じモノを感じたりするのでしょうか、、、(いや、そんなハズは無いと思いますがこのあたり、今の60~70歳台の方にお伺いしたいところでもあります。)


まあ、言葉やテクストは時代とともにうつろいゆくものですので、古文漢文にどうしても馴染めなかった自分からすると、その「歴史言語学性(と地域性)」的な観点からこのテーマ、また別の機会にでも紐解いてみたいとも思っております。


このブログとしては初のブックレビューであるが所以か、ここまで謎のテンションで来てしまいましたが、丸谷才一が「本は好きに読め、ただ本の読みたくなり方に於いて懸命であれ」というように、読みたくなり方に素直になってあらためて手にとった本でも、どうしても文章の相性、というものはあります。


ですので、衝動にかられてジャケ買いしても、すんなりと頭に入ってこず書棚送り、という本は私も何度か経験ありますので、そういう意味ではこの訳者(松本裕 氏)の織りなす文章の読みやすさに感嘆したのでありました。


ブックレビュー、ということは、いわゆる書評なわけでありますので、何かこう、この本の言説を自分なりの解釈でひも解き、独自のエッセンスをまぶしてお届けするのがセオリーなのではありましょう。そこで丸谷才一の言葉をひっくり返して借りるとすれば、


「テクストは好きに書け、ただ、テクストの書きたくなり方に於いて懸命であれ」


ということになり、この「書きたくなり方」が至極厄介なものではありますが、何かこう、飼いならすことのできない本能のようなものがこれに起因するとなれば、ネットとテクノロジーの進化によって、「万人が、万人の書きたいものを万人のやり方で書く時代」がもう四半世紀もすれば、真の意味で万人に解放される時代が来る(現在のネット普及率50%と、識字率90%からの推計)わけでありまして、この本で提示される、国家が信頼を担保する貨幣を媒介物として価値が交換される時代から、テクノロジーの進化によって中央集権的なシステムを必要としない、価値交換システムが形成されている世界観となにがしかのリンクを感じざるを得ない心境でもあります。


もうこの勢いで突っ走りますが、


そもそも、ブロックチェーンだとか仮想通貨の話題については、ワタクシなんかより何億倍もわかりやすい、技術的知見もある方々が様々な論証をされておりますので、それについてここで何かを言おうとしても、毒にも薬にもならないものになると確信しております。


ですので、「この本読んで豊島がなかば半狂乱になった」という事実はさておき、この本の面白さを断片的にでもお伝えできればと思いますが、ブロックチェーン・レボリューション で書かれていた世界観は自分にとってあまりにパンク過ぎてちょっと現実味なかったんですが(別にディスっているわけではないです。自分の理解力不足です。)この本は「マネーの生い立ち」という観点から紐解いており、コミュニティの中で交換される価値のシステムとテクノロジーの連動性を一気通貫で俯瞰できるため、「一大マネーの叙事詩」的なエンターテインメントとして読みこめます。


自分の子供が親世代になる頃には、現金は無くなってるかもしれないですね〜。あと、自分が複数のコミュニティに属しているとして、あるコミュニティでは希少性の低いものを、そうではない別のコミュニティに流し込んで対価を得る、そういうアービトラージが個人レベルでも、テクノロジーの進化でどんどん加速されていくのだと思います。


だって、スマホゲームで集めたアイテムをメルカリで出品して現金に交換する中学生がいる時代ですものね。確実にその萌芽は来てます。


要は「正直者がバカを見ない世の中」の到来です。


ここまで読み返してみると、書評というよりは単にテンション上がった人の日記、的なニュアンスになってしまいましたが、タイトルで期待された方、大変申し訳ありません。ただ、マネーの歴史的側面からその本質に迫る読み物として大変読みやすく、人と人との交換媒介物について改めて思いを巡らせられる、そんな良書でもあります。


ぜひ、ご一読ください。


遍く人に、NUMBOUTDUB EXPERIENCEを、

豊島 考作


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