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知識と知能と知性の違い-プラグマティズムとアカデミズムの周期性があるならば、商い界隈での経験主義の共感主義の揺り戻しもそこかしこに?なんてね。

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2019年1月18日
  • 読了時間: 2分

更新日:2019年11月8日

外界とのフィードバックシステムに自覚的にならないと、インテリ知識肥満デブ、若しくは(真の意味での)脳筋バカ


反知性主義が吹き荒れて〜、なんて文脈も使われて久しいですが、「知識と知能と知性の違いって何なの?」とふと思いたち、調べてみてもあまり明快に説明されてる例が無かったので、モデル化してみました。

我々普段、外界(がいかい)からの刺激を知覚しながら生きる毎日ですが、

知覚された情報は処理されて、一部は知識(または記憶)になります。

んで、過去の記憶等も参照しながら、認知・判断等の処理がなされて、外界へ運動としてフィードバックされるわけですが、

知能は、この青枠で囲んだ部分のドライバビリティ、言い換えるとドライバビリティのこと、というのが今の所しっくり来ています。

んで、知性の領域はこちらの緑枠で囲んだ部分、知覚→処理→運動 全体を回路に例えると、その美しさ、みたいな。


反知性主義って


「そもそも知識階級が分断生んでるし、(お高く止まったスノッビーな)知識とか不要でしょ、実生活で使えるかどうかが重要なのよ、アタシらにとっちゃね」


というニュアンスを含んでいるものと思いますが、要は


「いくら高尚な知識溜め込んでても、それ使えなきゃ(運動化できなきゃ)意味ないでしょ」


ってことで、青枠のドライブ能力の部分が極めて高ければ、豊富な知識があってもドライブ能力に欠ける人と比肩するという。


このモデルで解釈すると、「反知性主義」って、この緑枠の知性部分に対するアンチ、というよりは、「知能至上主義」のような気がします。


本は全く読まなかった松下幸之助の


「え?本?そんなもの俺には必要ないね、だって現実って書物を毎日読んでるから(豊島超訳)」


なんて話は有名ですけど、結局いくら良い知識が内部にあったとしても、結局それを運動化しない限り、他人にはわかってもらえないという、、拝金主義の世の中、有無を言わさぬ実績を目の前に出されたらグウの音も出ないですからね笑


まあ、ここまで書いといて「やっぱプレゼン能力大事でしょ!」とか言うつもりは無くて、ですね、知識偏重でもダメだし、やたら口達者になるのも虚仮威し、ただモデルで考えると、知覚するためにチャネルを開くのも大事だし、自分がどういうシステムで外界とのフィードバックを形成してるか、に自覚的になるのが重要でしょ!ってことです。


たぶん、そういうフィードバックシステムに自覚的にならないと、あっという間にインテリ知識肥満デブ、になりますし、(真の意味で)脳筋バカ、みたいになっちゃいますよ、ってことで。


遍く人に、NUMBOUTDUB EXPERIENCEを、

豊島 考作


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