コロナウイルス影響によるイベント開催是非の判断について
- Kosaku Toyoshima
- 2020年2月18日
- 読了時間: 3分
私と同じような「雇われイベンター」の方で、似たような悩みを抱えている方もいらっしゃるかもしれないので、考え方のシェアです。
「コロナウイルスの影響で、イベントを決行するか、キャンセルするか?」
個人的に考える基準としては、
普段顔を合わせているメンバーが集うイベントか?
人数規模は?
イベント会場にたどり着くまでの感染リスクは?
この3点となります。
※あ、あと雇われイベンターの宿命「4. 上位から中止判断が出た場合には問答無用で中止」てのがありますが、まあ主催者としては個別の問い合わせや突き上げを喰らうこともままあり、まずは上記3点の基準かなぁ、と思っております。
これから考えると、
「普段顔を合わせない」「数千人規模が集まる」東京マラソンの一般枠参加中止になったのはまっとうな判断と思いますが、上記3点は相互に関係するので、
たとえば、「普段顔を合わせない」が「人数規模は数十人程度」で「イベント会場に(感染リスクの髙い)満員電車に乗らないとたどり着けない」
場合なんかは、それぞれのリスクを勘案して総合的に判断するしかないわけですが、主催者としては、腹括ってその開催有無を心の底から信じて説明できるかどうか、なのだと思います。
「普段顔を合わせているメンバーでも、イベントの内容によっちゃ濃厚接触の可能性が高まる、だからすべからく開催しない方が良い」
と言っちゃえば、全ての人の営みが停止しちゃうので、ここは主催者それぞれがアタマの捻りところではあります。
自分の場合、直近で「普段顔を合わせている」参加者が「30人」「感染リスクの低い経路」に集うイベント、
来月「普段顔を合わせている」参加者が「100人」「感染リスクがとても低いと判断できる経路」に集うイベントがそれぞれ控えていますが、
上記の考え方に基づき開催してよい、と判断しています。
(仮に上位からの指示で「中止」の指示が降りてきた場合は長いものに巻かれちゃいますけど、一応は抗うつもり)
以下余談、
3.11の際、「開催は不謹慎派」と「反動派」の対立軸があったのが記憶に久しいですが、ここに来て、「パンデミックに対する開催是非」という論争が巻き起こっているわけで、次なる論争の火種として考えられるのは、そうですなぁ、たとえば上皇が数十年以内に崩御したときに、パフォーミング・アートを生業とする方々がどう行動・判断するのか、個人的には、これは私が特段右派なわけでは無く、「死後の世界は信じないが、魂の存在は信じる」という信条による、死者の魂に対する畏敬の念からくるものですが、パフォーミング・アートは祈りの所作であり、死者への鎮魂に代わりうる、と思うわけで、喪に服して何も鳴らさない、よりかは、各人好きな音を鳴らして死者への想いを馳せる方が良いんじゃないかなぁ、と思う次第であります。
ちなみに、基準3についてはかつての同僚、O氏との与太話から出てきた考え方です。(この場を借りてO氏に感謝を)




コメント