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精神分析的組織論 その3

  • 執筆者の写真: Kosaku Toyoshima
    Kosaku Toyoshima
  • 2020年3月1日
  • 読了時間: 3分

1年ぶりにこのテーマ、最近「アンチ組織開発」なアティテュードが、「アンチ・ユング派」にダブって見えてしまい、「ティール組織が通用しません、ドゥルーズ先生なんとかして下さい笑。」ということで軽くおさらい。


ざーっくり系譜を並べると、


  • 「モチベーションの源泉は性欲だから」というフロイド派(汎性欲説)

  • 「いやいや、性欲とかじゃなくて集合無意識という尊いものだから」というユング派


(という中で孤軍奮闘なアードラー先生、笑)


ユング派をアンチ・フロイディアンなスタンスと見ると、「組織開発ってなんか新興宗教っぽくて受け入れられんわ」というのがある種のアンチ・ユング派的なものと置き換えられ、さらにそこに「組織は、その構成員それぞれが自己実現しうる場であるべきだ」みたいな変化球アードラーが混ざってくると、もう収拾つかず笑。


ここは、ドゥルーズ先生の「欲望理論」で捉え直してちょっと皆様アタマ冷やしましょう。ということです。


ドゥルーズ・ガタリの「アンチ・オイディプス」も端的にはアンチ・フロイディアンの立場ですが、フロイド vs. ユングを高次に再解釈した、と考えると、最近の組織開発のアンチうんぬんの話もこれに帰結できるかと。


ドゥルーズの欲望理論のコアは


「欲望は、あれやこれやの関係性の中で自分の中に『流れる』」


ということで、「あれやりたい」とか「自分はこうしたい」とか「なりたい自分になるために」とか諸々の欲求は、自分の中から生じたものでは無く、関係性ありき、という話です。


なので、「やりたいことを仕事に」とか、「自分探しでやりたいことを見つける」なんてのは幻想も良いとこで、結局は


「周りとの関係性の中で、そういう欲望があると思わされているに過ぎない」


つまり、「自己」は、ある「欲望」が流れる媒介物に過ぎず、「欲望が自分の中にある」と思うのは全くのまやかし


ということなので、キャリア開発だの、対話の中で「自分らしさ」とか「自分の本当にやりたいこと」を見つける、なんてのは全くのイリュージョンなわけで、そこをゴールとする種々の取り組みは本質的に全く無意味なものと思います。


(その取組である種の狂信性が産まれれば、それに直走ることができるのである意味功を奏しますが)


なので、組織開発の奔流は、やはりある人の「関係性」を整理したり、気付いていなかった「関係性」を浮き彫りにするところにあると思います。応用型として、その人が救いを求めているとすれば、


「あなたがやりたいと思っていたことは、こういう関係性があるからで、この関係性さえ変えてしまえば、そもそものやりたいことが変わったりしないかしら?」


と問うことくらいが関の山、と思います。


ということで、「自分が何をしたいのかわからん」という人は、とにかく関係性を変えてみましょう笑、それは普段付き合う人を変えることだったり、違うモノを見たり触れることだったり、住む場所を変えることだったり、色々ですが、


それを繰り返すことで、ある対象物に面したときに自分の中に流れる「欲望」が出てくるので、あとは「あれやこれやの関係性」の中で、自分が居心地良く感じる「配置」を見つける、もしくは作り出せば良いのだと思います。


ではまた!


 
 
 

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